打たれ弱い僕の目指す姿
「打たれ弱くて何が悪い!!」
このブログタイトル,まるで逆ギレのようだが,半分その通りである。打たれ弱い人が,まるで社会のお荷物かのような風潮があるからだ。うつ病になってからは,この風潮をより強く感じ,もううんざりしているのだ。
僕はこのブログを通して「打たれ弱い人の処世術」のようなものの公開を目指しているわけではない。だって現時点で,僕は,まだまだ打たれ弱い。そもそも,僕だって打たれ弱くなりたくてなったわけではない。育ってきた環境(特に親の教育)が大きく影響していると思う。でも,親だって完璧ではない。日々の生活に忙殺されながらも,一生懸命,我が子を育ててきたのだと思う。だから親を責めるつもりは全くない。
打たれ弱くてもいい
僕の目指す姿は「打たれ強く変身して社会を強く生き抜く」というゴリゴリの正攻法ではなく,たとえ打たれ弱くとも,社会生活を幸せに営むことだ。無理に打たれ弱さを克服する必要はないと思っている。
打たれ弱い人は,人の気持ちを察する能力が優れているように感じる。感受性が優れているといってもいい。そして非常に几帳面で真面目だ。弱点と才能は紙一重。ならば,天から与えられた才能だと思って,最大限利用するよう考えた方がずっといい。
どういったときに心が満たされるか
これを考えることは重要だ。なぜなら,それが,打たれ弱い人の目指すべき姿だと思うからだ。何でもいい。たとえば,人の相談にのって「ありがとう。気持ちが楽になった」といってもらったときとか。
打たれ弱い人は,人に安心感を与える人が多いと思う。謙虚だからだ。でも,自分に対しては厳しい。だからしんどい。できそうにもないハイレベルな目標があるためだ。でも,そんな目標など捨ててしまえばいい。多くは世間一般の価値観に基づいたものだからだ。自分の幸せは自分でカスタマイズすればいい。そのために,何をしているときに幸せを感じるかについてじっくり考えることは重要だ。僕なんかは,このブログを書いているときは幸せだな。誰かの役に立っているかもしれないと思えるからだ。もちろん,先日言及した,心理カウンセリングや精神保健福祉士の勉強をしているときも幸せだ。
そしてこれはとても重要なことだが,自分だけの幸せのかたちを見つけ出し,追求することは,自然と打たれ弱い自分を遠ざけていることにつながると考えている。幸福感がストレスを打ち消してしまうからだ。超多忙なビジネスマン,たとえばソフトバンクの孫正義さんがうつ病になったりしない(未確認ですが・・・)のも,仕事が楽しくて仕方ないからだろう。
さっき僕が「打たれ弱さを無理に克服しなくていい」といったのは,こういう理由のためだ。だから,自分の幸せのかたちを見いだすのは,じっくり時間をかけた方がいい。