打たれ弱くて何が悪い!!

打たれ弱いがために,38歳にして,うつ病&休職そして退職した僕の日常。キャリアらしいキャリアもない(つまり割の良い転職不可)。だからといって過酷な労働環境も耐えられない。でも生きなくちゃならない。そんなジレンマに陥った僕の試行錯誤の日常です。うつ病&休職は,いろいろな事を気づかせてくれる良いきっかけだと思います。同じような境遇の方の参考になるかもしれません。良かったらご覧になってください。

知識ではない困窮を知った

先日,いつもとは違うボランティア団体に行ってきた。

食品会社などから賞味期限切れが近くなった食品を寄付してもらい,それを生活困窮者に配る団体だ。

 

僕が事務所にいると,そこに初老の男性が現れた。

当日は大雨であり,その中を1時間ほどかけて自転車でやってきたらしい。

大変疲れた様子だった。

 

どうやら,銀行で下ろした僅かばかりの年金を封筒に入れたまま紛失してしまい,食べるものに困っているとのことだった。食事は,前日のお昼にご飯を一口食べたのが最後だそうだ。

 

ものすごくお腹が減っていたのだろう,目の前にある1枚のせんべいを見て,

「あれ食べたらダメだろうか?」

と,彼からすれば自分の子供くらいの僕に遠慮がちに声をかけてきた。

「こんな若造に遠慮することなんてないのに・・・」

と,なんだか申し訳ない気持ちになった。

とりあえず,担当者が席を外していたので,戻ってきたら食べていいかを聞いてみることになった。

 

戻った担当者に一通り話したところ,そんなにお腹が減っているならということで,たまたま冷蔵庫にあった冷凍のご飯をレンジで温めて提供してくれた。

 

そのご飯を口にした彼が呟いた。

 

「・・・」

「うまいなぁ・・・」

 

 

僕は思わず動揺し,上体がぴくりと動いたのを感じた。

彼の呟きは穏やかであったが,そんな軽やかなイメージとはかけ離れた重みを感じた。

 

きっと僕が食べてもそのご飯は美味しいと思う。

でも,同じ「おいしい」ではない。

次元が遙かに違う。

そう感じた。

 

困窮というものを肌で感じた瞬間であった。

同時に困窮の意味を初めて知った瞬間でもあった。

困窮に関していえば,知るということは肌で知ることだと思うからだ。