打たれ弱くて何が悪い!!

打たれ弱いがために,38歳にして,うつ病&休職そして退職した僕の日常。キャリアらしいキャリアもない(つまり割の良い転職不可)。だからといって過酷な労働環境も耐えられない。でも生きなくちゃならない。そんなジレンマに陥った僕の試行錯誤の日常です。うつ病&休職は,いろいろな事を気づかせてくれる良いきっかけだと思います。同じような境遇の方の参考になるかもしれません。良かったらご覧になってください。

調子の波に配慮が欲しい

ここ数日,僕のブログの更新ペースは,以前に比べると早い。

今日だってこれで2本目だ。

これまでは2~3日に1本の頻度だったから,急にペースアップした。

 

たまたま時間ができたというのもあるが,『書きたい』という気持ちが強く,書いても書いても書き足りないのだ。ただし,思いつくままに書いては没にするものもあるので,公開ベースだとそんなに多いとはいえないかもしれない。

 

僕のブログが『創造的』かどうかは議論の余地があるとして,ブログ執筆のような創造的作業は『勢い』というものがあるように思う。勢いのあるときには集中力も持続し,ガンガン進むが,ないときはパタッと止まってしまう。

 

少々こじつけっぽく,例外もあるだろうが,精神疾患患者も似たような特性があるように思う。調子の良いとき,悪いときがあって,それにより作業のパフォーマンスがはっきり分かれる。誰にだって調子の良い悪いはあるだろうが,精神疾患患者はその差が比較的明確だと思う。

 

『そこを調整するのが社会人だ!』というご意見は,ごもっともだと思う。僕が新卒で入社した会社を12年間続けられたのも,そういう意識があったからだろう。大切なことだと思う。ただ,一方で今では別の意識も芽生えている。

 

『調子の波について周囲が配慮することで救われる人もたくさんいる』

ということだ。

 

精神疾患になりたくてなった人なんていないだろう。みんな一生懸命に頑張ろうと思いつつも,脳や体に症状が出て,思うように動けなく困っているんだと思う。

 

本当に恥ずかしいことであるが,精神疾患だけでなく,身体や知的など他の障害についても関心を持つことが今まであまりなかった。

 

街を少し歩いてみたり,就労など社会的活動をしようと思うとすぐにわかるが,社会は健常者中心に作られている。ほんの少しの配慮を心がけるだけでも分かるこの事実。その少しの配慮に救われる人が大勢いるにもかかわらず,これまで関心がなかったことが本当に恥ずかしくてならない。

 

障害を抱える人の社会での平等的扱いを謳うノーマライゼイションや,さらに一歩進んだ理念であるソーシャル・インクルージョンは,まだまだ緒に就いたばかり。福祉の世界の人でも『意味は知っていても実際にはねぇ』というレベルだろう。僕が年寄りになる頃には,障害者など社会的マイノリティが,もっともっと生きやすい世界になっていて欲しい。一方で,その原動力となるのが自分たちであるということも忘れないようにしたい。